2018年7月号「宇宙を見る眼」

(1)天文学とアートの親和性

古代から天文学は、音楽や美術や哲学と同様に、真理を探究する学問として存在していた。20世紀初頭に、物理学の世界に於いて大きな2つの変革があった。ひとつは、量子力学といわれるミクロな世界の物理法則の進展である。このミクロな世界の発展へのスタートは、プランクによるエネルギー量子の発見(1900)で、その後、1905年のアインシュタインの光量子仮説、1925年のシュレディンガーの波動方程式の発見などによって、その基礎が出来上がっていたのである。もうひとつが、時間と空間の統合である。アインシュタインの特殊相対性理論(1905年)による電磁気学と力学系の統合に成功したあと、1915年の一般相対性理論によって、重力と力学系の統合的な理解を可能にした。前者に付いては、その後の進展が、今日のいろいろな電子デバイスの原理の基礎になっている。私たちが、当たり前に使っている携帯電話なども、量子力学のおかげだといえる。一方、後者に付いては、ハッブルの宇宙膨張の発見に続いて、1960年台の宇宙背景放射の発見、パルサーの発見などの「発見の時代」が起こった。そうして、一般相対性理論から予言できるいくつかの極限的な現象、例えば、ブラックホールやビックバンなどが、20世紀後半には、「観測的事実」として確証されるに到っている。このように、20世紀の科学は、ひとつは究極的に小さな世界へ、もうひとつは、究極的に大きな世界へと進んでいったのである。20世紀の世界は、物事を分解していく「究極」の科学の世界だったといいえる。

一方、21世紀になって、時空のゆがみの波動である「重力波」の直接的検出に成功し、重力波で見えない世界を探査することが実現できる可能性が見えてきた。そのひとつに、ビックバンの前の「インフレーション」とよばれる宇宙の起源の証拠の探査が挙げられる。また、著者も関わっている「系外惑星(太陽以外の恒星の周りの惑星)」の探査も、より本格化し、宇宙の中で惑星も存在が普遍的であることが明らかになってきた。いま、天文学は、「宇宙の起源」や「生命の起源」を研究対象にするまでなってきたのだ。つまり、現代の天文学は、人間が誰でも思い描く根源的な疑問、すなわち、「私たちがなぜここにいるか、私たちがどこからきたか」といった疑問について、直接答えることが出来るような段階に入ってきたのだ。このように、天文学の進展は、その科学的な意味だけでなく、我々の存在の意義にも大きな変革を迫るものである。

まさに、このような時代だからこそ、天文学と芸術との親和性が強調される時代が再び来ると考えている。いま、カメラという道具を持ち、星空を写している私達は、これらの時代のさきがけとして活躍しているといえる。だからこそ、いま、各人の宇宙観を問うてみたい、「あなたの見る宇宙」は。

(2)宇宙とはなにか

太古の昔より繰り返されてきた「宇宙とはなにか」という問いは、究極的には「人間とはなにか」という自分自身への問いにつながる。この自問こそ、天文学とアートとの共通の出発点である。いま、カメラという「視覚」を持っているあなたは、どのような宇宙観を表現したいのであろうか。星景写真とは、まさに、自分自身の宇宙観を表現し具象化するひとつの表現方法なのだと考えている。だからこそ、自分自身に問いたい、「あなたの宇宙」とは。

写真1

写真2

(3)星空から宇宙へ

私は、4歳の頃より星を眺めてきた。最初の天体写真は、小学校2年生の1972年1月30日の皆既月食だった。しかし、基本的にフィルムを自由に買えない時代だったので、次に始めたのがスケッチだった。天体スケッチは、中学生時代には、700番台(枚)まで行なっていた(写真1)。こんな私が、星景写真を意識的に撮影したのは、1986年以降のことだ。この当時、地上の風景と星の写真は、初心者向けの手法として、固定撮影として紹介されていた。私は、天文台の写真の中に、空気観や宇宙への憧れが表現されていないのに不満を持っていた。なぜなら、これらの写真は、事実が書き込まれているが、そのもの自体の宇宙観などの表現が無かったからだ。一方、私は、意識的に、星空を使って宇宙観を表現するにはどうすればよいか考えた。その中で、夜にしかない風景写真としての「星景写真」を強く意識し、夜の気配や地球の空気感、遠い星空と近景の織り成す世界をしっかり表現することにこだわった写真を撮り始めた(写真2)。それから30年以上経ち、未だに、自分の世界観をしっかりと表現できないもどかしさにあえいでいる。それでも、なぜ、星景写真を撮り続けているのだろうか。

ひとつに、星空を見ることで、宇宙中での自分に気づかされ、宇宙の神秘に気づかされる(Sense of Wonder)日々があるからだ(写真3)。さらに、生命豊かな森の中などから星空を見上げていると、私達が、宇宙の中で、地球の中で生かされているという気持ちが深くなってゆく(Sense of Respect)。そうして、私は、科学をするものとして、宇宙の仕組みを考えながら、科学的な洞察(Sense of Science)の元で自然を表現して行くのだ。このように、自然との関連に強い信念を持って生きる力(Sense of Empowerment)を高め、自によって、地球を知ることによって、自然誌としての地球や宇宙を表現してゆきたい(写真4、5)。

写真3

写真4

写真5

(4)「森からの宇宙・山からの宇宙」

このたび、自然誌としての宇宙の表現の場として、2018年8月11日より9月17日まで、白馬美術館で星景写真の個展を開催することになった。私が気づかされる宇宙の鼓動や地球の変化を、私が宇宙の中にいるという感覚を、私の宇宙観の一部を、少しでも表現できたら思っている次第である。時間が合えば、予定に入れて頂けると幸いである。詳細は、今後お伝えしたい。

写真1 ウエスト彗星
1976年春、20世紀後半を代表する大彗星が見られた。この時、カメラ、双眼鏡、望遠鏡で彗星を観察したが、肉眼による印象が非常に大きかった。(1976年3月5日、富山県黒部市)

写真2 夏の朝の成層圏
薄明に上る冬の星たち。立山から見た北アルプスの上に広がる広大な星空と地球の色を表現してみた。(撮影:1991年8月17日、立山)

写真3 Far calls. coming, far!
マウント・ジョンの丘の上から広大な風景が展開された。私はただ立ち止まりながら、強い衝動を感じた。(撮影:1999年8月07日、ニュージーラド、マウント・ジョン)

写真4 鏡面の宇宙
深い森の中を歩く。光合成をする葉は空一面を覆い尽くし、星空を見るところができない。池の端から星空を覗く。緑の地球と星空が一体となって私を包み込む。(撮影:2018年6月14日、長野県小谷村)

写真5 森の中から見た宇宙
森の中では周りの光景を見ることができない。ただ、深い闇が周りを包んでいる。ふくろうの声、小動物の動く気配を感じながら、静かに歩んでゆく。池に注ぐ小川のところが、唯一、天の川の一部が見られる。私はこの地球の命の伸びやかさと星達の世界に包まれる空を見上げていた。(撮影:2018年6月14日、長野県小谷村)

著者:大西浩次(おおにしこうじ) 博士(理学)
長野市在住 日本星景写真協会副会長、日本天文学会、国際天文学連合会員
重力レンズを使った系外惑星探査を行っている。毎日、一日1枚の星景写真をTWITTERにupしている。