2020年7月号「海外に撮影拠点を作ってみた」

数年前に家族の介護から解放され、一昨年会員に復帰したのですが、以前ほど夜な夜な出かける気力も体力もなくなっていました。いろいろな事から解放され自由な時間は増えたので、行けば気力も復活するかなと渡豪計画を立てた矢先のまさかの新型コロナでボツに。

そもそもオーストラリアへ星見に行きたいと思ったのは、ゆったりと撮影がしたいという単純な話です。
1986年のハレー彗星回帰の頃、やはり渡豪計画は考えたのですが、ちょうど第一子の出産予定日に重なり、さすがに行って帰ってきた時のことを思うと恐ろしくて実行に移せませんでした。
奇しくもハレー彗星の地球最接近の日に長男が生まれ、翌年にまだ幼い子供を置いてオーストラリアへ行く許しを得て1年遅れで決行。二ヶ月間17000kmを走り回っていろいろ貴重な光景もたくさん撮影したものの、1箇所に腰を据えての撮影は日程的に無理でした。

移動中にミラーに映った残照が美しかったので道路脇に停めてのスナップ的な1枚。

予定では日没前に着くはずが真っ暗になってからようやくたどり着きました。当時はゲートもなく知らずに入り込んでしまい、ちょうど満月過ぎの大きな月が照らし出したので慌てて撮った1枚。今なら罰金ものです。

33年前の若かりし頃の1枚。

ステーションワゴンを予約していたのに何故かセダンが用意されていて・・・さすがに二ヶ月も使うのに不便なのでカウンターでステーションワゴンに替えてくれと頼んだのになかなか上手く伝わらず、明日来いとなん度も言われて通った末にステーションワゴンに乗れたのは三日後でした。

そのリベンジ的な考えで、今度は星の撮影をメインに再度出掛けることにしました。
アシスタントを頼んでいたこともあるN谷氏と二人で10日間ほど、シドニーから西へ300kmほどのパークスへ、町外れのモーテルに泊まり毎夜出撃。滞在中は天気にも恵まれ、たっぷりと星道楽の日々を過ごし満足して帰国。しかし普段よりも余裕を持って撮影したつもりでも、現像されたポジにはゆったりとした雰囲気はありませんでした。
日本よりもはるかに暗い空なのに日本的な露光時間で切り上げてしまったせいか、若干露出不足に見える貧乏臭い写真ばかり・・・及第点はあってもベストな1枚には程遠くモヤモヤとした残念な結果でした。
翌年また同じ所へ行き今度はたっぷりと露出を掛けて撮影したところ、300km先のシドニーの光害の影響を受けてしまうことに。

関西からの直行便があるのはシドニーなどの東海岸ばかり。乗り継ぎは大量に持ち込むフィルムのX線のダメージが心配ですし、何よりもやはり疲れます。そんな訳で過去3回とも必然的にシドニー発着の行程になっていました。
地図を見ても明らかに街が少ない西オーストラリア州、大都市はパースだけ。ようやく西へ行く決心をしたのが1993年、6年目4回目の渡豪でした。

前置きが長くなってしまいましたが、初めてのパースは深夜便でした。100万都市なのにちょっと郊外へ出れば予想以上に空は暗く、期待に胸を膨らませながらレンタカーを借りて、そのまま北へ向かいピナクルズで有名なナンバング国立公園の霧の中で朝を待ちました。さすがに知らない場所で真夜中に歩き回る事も出来ず、夜明けから延々と砂丘をロケハンしているうちに、軽い熱中症になってしまうほど楽しい時間でした。
そこからワディファームへ向かい連泊するつもりでしたが、イマイチ晴れないし思ったよりも空が明るく感じたので、翌朝ワディを出て翌日95号線を北上することにしました。
途中小さな町があるだけで星見には申し分ない乾燥地帯を走って、ようやく宿泊施設のあるマウントマグネットに夕方到着。ただこの町は周辺では大きいもののホテルが一軒とキャラバンパークのみ。ホテルはバーとレストランも兼ねていて夜間の出入りが自由に出来ない。仕方なくキャラバンパークを選んだがキャビンはないので車中泊。とりあえずシャワーを浴びて仮眠してからロケハンに出た。
町を一歩出るともう本当に何もないので撮影には困らないが、夜間の交通量が心配なのでちょっと奥まった場所にセッティング。その日は撮影に手応えも感じたが、炎天下の車中泊はなかなか厳しく苦行のようでした。
ほとんど眠れないまま違うポイントを探してさらに西へ、200kmほど走って休憩に停まった町がヤルグー。私が本拠地にしていた小さな町というか集落。
当時は人口72人で、隣町は東へ200kmでマウントマグネット、西も250kmほどでジェラルトン、その間に小さな町はあるものの光害は考えなくて済むレベル。南も小さな集落はあるが、北はそれすらないまさに陸の孤島。しかもヤルグーには有難いことに夜中自由に出入りが出来るモーテルがあった。
小さな町なので日本から星を見に来た変わった奴がいることは、翌日には町の人間にほぼ知れ渡っていました。ジェネラルストアで会ってもレストランで会っても皆凄い訛りで話しかけて来ます。他所から観光客が来るような場所でもないので珍しかったのでしょう、歓迎されていたと思います。
ここでは本当に満喫出来ました。夜空が暗すぎて、むしろ明るく感じるほどの無光害の町。
ようやく思い描いていた「ゆったりと星を撮る」には最適な場所を見つけました。
たった三日間だけでしたが、一欠片の雲も見えなかったので安心して長時間露光を楽しめました。この時が4×5の全天魚眼のデビューではありませんでしたが、ここで撮影するために作ったと確信できました。

日没後薄明が残る頃にシャッターを開けて、明け方3等星が消える頃にシャッターを閉じる。

10時間37分の露光時間はたまたまのもの。一発勝負で思い通りに撮れた喜びはデジタルではなかなか味わえない。
ちなみに上の赤い部分が夕焼け、下が朝焼け、下から伸びている明るい星は金星です。

その後シャークベイへ行き、ストロマトライトとシェルビーチを眺め帰路へついたが、まだ熱中症の名残があってビールも飲めない食欲もないままでした。でもヤルグーの雲一つない暗い夜空に満足感の方が勝っていました。ここを拠点にするとはまだ考えてなかったのですが、帰国して現像が上がった時点でもう次回行く気になっていました。
その時に見た暗い空が忘れられず、それから毎年通うことになり、3年後からはジェネラルストアの離れを借りることが出来、2005年まで通いました。
毎年行っていると町の人とも顔馴染みにもなります。小さな町なので店屋は一軒、バーとホテルとレストランは同じ建物、顔を合わすのもほぼ同じメンバー。帰る頃には古い親しい友達のようになり、機材を置かせて欲しいとお願いするのも自然な流れでした。
頼んだ相手はジェネラルストアなので、倉庫は無意味に広く冷蔵庫も小さな家ほど。ここに重い機材とはいえ彼らからすると小さなものなので、気軽に引き受けてくれました。その後、途中で買った簡易ベッドやクーラーボックスにガスバーナーまで・・・行く度に預ける荷物も増え、大判のシートフィルムも含めて持って行った物をどんどん置いてうちに、毎回大変だった超過料金の恐怖から逃れられました。

町のメインストリリートにあるホテルとレストラン。モーテルは電柱の手前。

ホテルにあった金鉱の地図。かつてはゴールドラッシュで賑わったこともあるらしい。

これがこの町のメインストリート。

借りていた離れの外と中。

しかし世話になっていた友人も2003年に少し離れた町へ引っ越してしまいます。
ただ次に住み始めた人も私の荷物をそのまま預かってくれて、離れもお借りできたので、2004年の二大彗星が来た時もお世話になりました。
ただ毎日快晴だったのに、1日だけ撮影出来なかったのが今でも残念です。というのもその方の友人たちが集まるBBQに誘われたからです。さすがに離れを借りていて歓迎パーティーを断る訳にもいかず、泣く泣く参加しました。ありがたい話なのですが・・・。

夕方に二大彗星。ヘールボップと百武が同時に見られると騒がれましたが、実際は期待ほどではなかったのですね。ただ同時に2つの肉眼彗星というのは初めてだったので楽しめました。しかも6日間の変化を生で見られたのも感激しました

全天魚眼で撮った1枚。このサイズでは見えないと思うが、ちゃんと小さくですが2つの彗星が写っています。

その翌年にヤルグーの機材は全て引き上げて今はパースの友人宅のガレージに置いてもらっています。ヤルグーから引き上げたのはその新しい友人と何があったとかではないのですが、パースから500kmほど離れているので、その間は機材が無いという状態なのです。まあ日本から手ぶらで行っている訳では無いので数台はありますが、それでも大判中判カメラと赤道儀や鏡筒と三脚数本はヤルグーに着くまでは使えません。
それとヤルグーの変化のない風景にちょっと飽きてきたのも事実です。
全天魚眼で撮るには最高のロケーションなのですが、如何せん高い木もなくブッシュだけなので、星景写真としてはあまり面白くないのです。

このユーカリの木が一番大きいのです。高さは3mくらい。

完成したばかりの8×10のデビュー戦でもありました。
でも今年の4月には15年ぶりに行くつもりだったので本当に残念です。
この新型コロナウイルスの特効薬が出来て、自由に海外へ行けるようになったらまた訪れたいと思っています。
それまでは今よりも体力を落とさないように精進しなければいけませんね。

8月の雨季には地平線まで続く花園に変わります。普段は赤い荒地なのですが。

普段はこんな殺風景なところです。

町の北にあるちょっと高台になっているところが屠龍からの定位置。こんな感じで毎日撮影していました。

1999年2月にヤルグーのすぐ近くを金環日食帯が通りました。金環には興味がなかったのですが、機材もあるので初めて2月という酷暑の中行ってきました。

一度撮って見たかった日の出から日の入りまでの日食全過程。ツアーだとここまで長い時間いられないので、ただ気温45度以上は大変でした。

機材は置いてあるので贅沢な使い方をしました。極軸も前日から合わせているので思い切ってボーグ125にペンタの67を付けて合成焦点距離4000mm強、2度としたくないです。

これも日の出から日の入りまでの全過程。こうやってみると日食の時間って案外短く感じますね。

やはりヤルグーで撮った印象的な作品はこれもあげたいですね。雨季のタルグーにはあちこち水たまりができています。油断するとスタックするなど大騒ぎですが、またこんなシーンに出会えたいものです。

安藤宏(あんどうひろし)
日本星景写真協会会員
1988年から“After The Sunset”をメインテーマに同シリーズの写真展を各地で開催。
2018年9月まで鳩居堂コンタックスギャラリーなどを含めて25回を数える。