2022年7月号「私の遠征撮影スタイル」

星屋にはちょっとつらい梅雨時、如何お過ごしですか?

天体写真撮影には様々なジャンルがありますが、今の私は星景写真の撮影をメインに楽しむようになっています。長いこと天体撮影を続けて来ましたが、星景写真を中心にその撮影スタイルについて振り返ってみたいと思います。

序.始まりは「こと座」

初めて星空にカメラを向けたのは小学5年生の秋、対象は天頂を少し過ぎた所に位置していた「こと座」でした。カメラは父親の「オリンパスペンF」、ハーフサイズのフィルムカメラ(レンズは38mmF1.8)。最初にこれを借りた時は、家族写真用として装填されていたフィルムに2コマだけ撮影していました。

光害のある川崎市の外れの自宅近くの空き地での撮影ということもあり、今見てみれば残念な写真ではありますが、当時は出来上がってきたプリントを見て、雲間に佇む「こと座」の姿が写っていたことに飛び上がるほどに喜んだことを覚えています。その感動はその先40年以上も天体写真撮影を続けるきっかけとなったのです。

【天体写真アルバムの最初を飾る1枚、「こと座」。昭和54年(1979年)の秋のこと。】

1.じっくり朝まで定住 ~遠征スタイルの原点~

デジタルカメラが登場する前のフィルムカメラ時代は感度が低く、広角レンズで撮るなら三脚固定での長時間露光での日周運動の軌跡写真か赤道儀で追尾しての星座写真、あるいは望遠鏡を使って星雲、星団をクローズアップした写真が普通でした。

当時の多くの天体写真ファンが目指したのは望遠鏡を使っての撮影であり、私も高校時代には自宅近くで反射望遠鏡を使った直焦点撮影を始めていました。もちろん、光害の真っ只中なので大したものは撮れません。大学生になって運転免許を取得するやいなや富士山や乗鞍などの標高の高い星空の綺麗な場所に望遠鏡一式を車に積み込んで遠征できるようになりました。これにより本格的に「作品」を撮影出来るようになり、天文雑誌への投稿、そして入選も果たすようになってきました。

当時の遠征は日が沈む前に現地入りして望遠鏡を組み立て、その場で一晩中撮影して朝になって撤収して帰るというものでした。撮影中はひたすらガイド鏡の十字線入りアイピースを覗いてガイド星が基準からズレないように黙々とコントローラを操作して修正する必要があったので、ずっと望遠鏡の場所に付きっきりを強いられました。

1990年代になるとオートガイダーなるものが登場し、手動でやっていた追尾の修正を機械が自動的でやってくれるようになり撮影スタイルに大きな変化が起きました。

【構図を決めてしまえば、あとの露光中はオートガイダー任せ】

厳冬期の氷点下の中でもオートガイダーが黙々と自動的に追尾してくれるので、露光中であっても仲間とおでんをつついたりして過ごすことが出来るようになりました。そして、望遠鏡での撮影中に別のカメラで星座の撮影などをする頻度も上がってきました。

ほぼ時を同じくして月刊誌「スカイウオッチャー」編集長の川口雅也氏によって「星景写真」というジャンルが提唱されましたが、意識せずそんな写真も撮っていたことになります。

この頃の撮影スタイルが、私の遠征時の基本型となっています。いわば、「朝まで定住スタイル」です。

このスタイルにおける「星景写真」視点での欠点として、望遠鏡の近くでしか撮影できないので前景のバリエーションに乏しく、いつも同じような構図になってしまう、ということがあります。

【月が西に傾き闇夜を待つ時間。望遠鏡の周りには星景写真用の三脚。】

2.欲張り移動撮影 ~星景写真メイン時のスタイル~

2000年代になるとデジタルカメラの高性能化による天体写真への普及が進み、望遠鏡でのクローズアップ作品のレベルが非常に上がってきました。撮影時よりも撮影後の画像処理に多くの時間とスキルが必要になるのですが、当時の私はなかなかその時間を確保できず遅れを取るようになってきました。

天体撮影のデジタルカメラ化が進んできたものの、しばらくの間は「星景写真」のジャンルではフィルムカメラ、しかも6×7判のフィルム(デジカメで言うところのフルサイズの約4倍の面積)を使ったものが一番という傾向がありました。しかしながら、次第に高感度特性が良くなると、フィルムでは不可能だった短時間露出で星空も地上も止めて撮影することが出来るようになり、新たな表現が可能になってきたのです。

私はこれまで撮ってきた星雲、星団の写真、星空だけの星野写真よりも、景色をどう取り込むかという撮影者の意図を反映できる「星景写真」に益々惹かれるようになりました。

「朝まで定住スタイル」ではいろいろな景色を絡めた星景写真を楽しめない、、、、、そんなジレンマを払拭すべく、ついには望遠鏡での撮影はせず、身軽な星景写真撮影中心の遠征をすることが多くなってきました。

こうなると一ヶ所での撮影に満足したら、次の場所へと移動して趣の違った作品を得る、ということが出来るようになります。単に前景を変えるためだけの移動に留まらず、例えば天の川の位置と地上の景色とのバランスを考えての計画的な移動も考えられます。

かくして、現在では「欲張り移動撮影」の頻度が一番高くなっています。

【月明かりの眩しい夜、次の撮影地への移動中に路肩に車を停めて見上げた星空。】

3.星景写真撮影マラソン ~移動撮影の極み~

さて、その「欲張り移動撮影」の究極なものとして、勝手に名付けた「星景写真撮影マラソン」があります。何度か実施している富士山周遊マラソンを紹介します。

これをやるのは年末年始、日が暮れてすぐにオリオン座が東の空から昇ってくる季節になります。オリオン座が富士山から昇ってきて、夜中に富士山上空を駆け抜け、夜明けに富士山に沈む、という一晩の星空動きを実感できる体力勝負の撮影となります。

宵の口のスタートは富士山西側の田貫湖か朝霧高原。オリオン座が昇るにつれて富士山を北回りで富士五湖周辺の撮影スポットを次々に巡っていき、夜明け前の富士山東側の山中湖がゴールとなります。常に富士山とオリオンを絡めた構図をキープ出来るようにして効率よく各地で撮影していきます。2013年1月の例では6ヶ所を巡っていました(http://hoshizora.blue.coocan.jp/diary/2013/130102.htm)。

【2013年富士山マラソンの第3チェックポイント、本栖湖にて】

このマラソンに臨むには、あらかじめ各撮影ポイントを通過するタイムスケジュールを綿密に立てておく必要があります。途中で良いシーンに巡り会ってしまうと、つい長く滞在したい衝動に駆られますが、それに打ち勝つ強い精神力も必要です。さもなければ時間切れで完走できなくなります。

このコースでは、うまくいけばゴール地点で夜明けの紅富士のご褒美が待っています。

【朝日に染まった富士山、山中湖にて】

4.ピンポイント短時間勝負 ~狙ったワンカットに入魂~

特定の天文現象や季節限定のシーンとして、宵の口や夜明けの薄明中に狙いを定めることがあります。例えば彗星、惑星、月、夜明けに昇る天の川などがあります。

薄明中の撮影となると、闇夜では目立ってしまう光害の影響が無くなり、透明度さえ良ければ都会でも綺麗な作品を得ることが出来ます。この撮影スタイルだと、狙いのほんのわずかな時間だけが大事なので一晩中のガッツリ撮影と異なり、遠征をするにしても時間の融通が利きます。特に夜明けの場合は、仕事が終わってから帰宅して夕飯も食べてから出撃、なんてことも可能になり体に優しいです。

【夜明けのさそり。光害があっても薄明の光で帳消しにしてくれます。(比較明合成)】

【日が沈んでしばらくして富士山から昇る満月を待ち伏せ】

5.旅行のついでにちょい撮り ~旅の思い出に~

家族旅行などで星空の綺麗な場所に宿泊する場合、旅の思い出にちょっとだけ宿から外に出て撮影するのも良いものです。ただ、外出するなら短時間に留めておくのが肝要ですね。宿の部屋から撮れるのなら最高です。

深夜に外出する場合、門限などは確認しておかないと締め出されかねませんので気をつけましょう。

【宿泊者向け撮影会の様子を前景に(比較明合成)】

【ホテルの部屋のベランダから見た夜明け。惑星が揃っていました(2022年初夏)。】

私のいくつかの遠征撮影スタイルを紹介してきました。光害地に住んでいるので、天の川の見られる様な空の良い場所まではそれなりの移動が必要です。でもそれは普段の生活圏とは異なる空気のきれいな場所に行けることであり、リフレッシュにも繋がるのでもう欠かすことは出来ません。

さあ、次の週末はどうしましょうか、撮りたいもの、月齢、天気をチェックして考えることにしよう。

皆さんの次の撮影の計画はいかがですか?

著者: 渡部 剛(わたなべ つよし)
神奈川県海老名市在住 日本星景写真協会 正会員
http://hoshizora.blue.coocan.jp/
https://www.facebook.com/tsuyo.watanabe

本コラムが公開される2022年7月に、これまで撮り溜めた天体写真、主に星景写真を使った書籍が発行となります。妻の書いた読み聞かせの本文に私の作品を合わせた形となっています。どうぞよろしくお願いします。
「おやすみ よいゆめを」
さく  わたなべまき
しゃしん わたなべつよし
株式会社 文芸社
ISBN978-4-286-23827-2