2022年4月号のコラムを担当させていただきます、横山明日香と申します。
少し古い話ですが、2003年~2008年までの4回のオーロラの旅について回想してみたいと思います。どうぞお付き合いください。
なお、掲載しているオーロラ写真はすべてフイルムで撮影したものです。
旅のスタイルはすべて車中泊・自炊の一人旅でしたので、いろいろな苦労がありました。
1.運転技術
2.サバイバル術
3.英会話
これが、写真撮影以前に絶対必要な3本柱でしたが、実はすべてが苦手項目でした。
1.運転に関しては、車を自分で所有したこともなく、ゴールドのペーパードライバーでした。
2.アウトドアは嫌いでしたが、友人たちがアウトドアの自炊道具を貸してくれました。
3.英語は中学から赤点。
たいへん苦手意識がありましたが、英会話教室に入会し、
レンタルCDの洋楽をドライブBGMに、週末のたびにレンタカーで車中泊の旅に出ました。
写真技術はというと、一眼レフを所有するようになり、ようやく一通りの操作を理解した写真歴1年でした。
写真を始めた頃は、自分がオーロラを見に行くとは想像もしていませんでした。
はっきり言って、私のような人が行ってはいけない旅でした。
幸運なことに無事に帰ってこられましたので、今では笑い話にもなりましたが、これをお読みになる方々におかれましては、全くお勧め致しませんので絶対に実行に移さないでください。
私の行っていた当時と現在では事情が異なり、レンタカーでの走行が禁止されている区域があるそうです。
飛行機を乗り継ぎ、苦手な英語を頑張って、最終目的地のカナダ・ホワイトホースの空港に降り立ちます。
予約していたレンタカー窓口に係員がいなかったり、指定していたクラスと車種が違ったり故障があったりと、最初からいろいろ困ったこともありましたが、現地でサポートしてくださる方がいたおかげでどうにか切り抜けました。
スーパーで旅の食料や飲料水を買い込むと、ようやく旅の本当のスタートとなります。
こぢんまりとした市街地を抜けるとすぐに、壮大な大自然を突き進む孤独なドライブとなりました。
700kmにわたりガソリンスタンドが存在しない区間に冷や汗をかいたり、
北緯68度の街で、連日-40℃の中、唯一のアクセス路が通行止めになり陸の孤島と化した日々があったり、カナダとアメリカの陸上での国境通過も新鮮でした。
<2008年の最後の旅ではフイルムカメラとデジタルカメラの両方を使用して、デジタルカメラのおかげで目に見えないオーロラもフイルムに収めることができました。>
旅の回数を重ねるごとに少しずつ行動範囲を広げ、最後2008年3月の旅では、カナダ北極海に面するタクトヤクタックを最北到達地とし、西は国境を越えアラスカのフェアバンクスまで足を伸ばし、3週間で6000kmを走破する旅となりました。
気温は平均がだいたい-30℃、一番冷え込んだときには-47℃まで経験しました。
-40℃以下になると、車のエンジンをかけるときに異音がするようになり、アクセルやブレーキの効きも悪くなります。
最も心配したのは、ガソリンの気化温度-46℃以下になったらエンジンが止まってしまうかもしれないことでした。(そのようなことに遭遇することはありませんでした)
防寒装備には念を入れましたが、そうなると、-20℃を上回れば「お腹を出して寝ても平気」みたいな感覚になります。
3回目、4回目の旅では、非常事態に備えてGPSと衛星携帯電話を借りていきました。
衛星携帯電話とノートパソコンを接続することでメールの送受信が可能になりましたので、日本の友人にお願いして、毎日現地の天気予報と道路交通情報を送信したいただき、その情報をもとに毎日の行動を決めていました。
衛星携帯の恩恵により原野の中からブログ更新も可能になりました。
http://blog.livedoor.jp/swingby_i/archives/50901538.html
<衛星携帯をノートパソコンと接続して、原野の中でメールの送受信が可能になりました。>
運転技術もおぼつかなく、英語もほぼわからない中、オーロラに包まれる時間だけが至福のときで、それ以外はほぼ、無謀な旅に出てしまったことを後悔したり、自分の無能さを不甲斐なく思ったりで、一日の中で精神状態が天国から地獄までを行ったり来たりの極限を味わいました。
<オーロラにつつまれている間だけ、幸福感で満たされました。>
いろいろトラブルも経験しましたが、助けてくれる恩人との出会いにも恵まれ、撮影してきた写真で個展を開催することにもなり、これらのことすべてが、オーロラが教えてくれたものだったのだと思います。
オーロラを人格化するとすれば、超厳しいスパルタ教師かなと思います。
私の腕をつかんで全力疾走するオーロラ先生に、転ばないようについていくのが必死でした。
自分のやりたい欲望のために実力以上の挑戦となってしまいましたので、その結果がどうなったとしても自分で受け入れる事は覚悟の上でしたが、いつも迷いがあり、そして、日本での慣れた日常生活では感じることのない、コミュニケーションの困難と毎日直面することとなり、自分が簡単に「弱者」になるということを体験しました。
いろいろな経験をさせてくれたオーロラから学んだ、いちばん大切なことは何だったのかと考えると、最後の旅から十年以上の時間が経った今、はっきりわかることですが、「自分の弱さを知った」のでした。
この体験を通して自分自身に成長があったとしたら、それは運転技術やサバイバル術、英語力ではなく、ましてや写真の腕前の向上でもなく、このことに他なりません。
コロナ禍が去ったら、オーロラの旅に復帰したいと思っています。
また新たな気づきをオーロラは与えてくれることでしょう。
横山明日香(よこやまあすか)
北海道札幌市在住 日本星景写真協会 正会員
http://swingby-i.com