前回2020年7月のコラム「海外に撮影拠点を作ってみた」に書いたことと一部重複しますが、約3年半経っていますので若干かぶることも含めたところから書き始めることにします。
初めて海外に撮影に行った1987年はステーションワゴンに機材を積みこんでホテル&モーテルや車中泊を使い分けて約二ヶ月間走り回りました。
ただオーストラリアの田舎の小さな町のホテルというのは唯一の社交場で、バーやレストランも兼ねていて深夜の出入りはしにくい状況ですので撮影のための宿泊ならモーテル一択かと思います。
また夕食の時間が結構厳密に決まっていて、それ以外では一切食事が出来ないことも多いので注意が必要です、特に一番撮影したい日没から薄暮の時間帯がちょうど夕食タイムなのでなかなか悩ましいものです。
〜前回も使った画像ですがド田舎のホテル&レストランの雰囲気がよく分かるかと〜
また大都会近郊や郊外の小都市ではなかなか道端に停めて眠るというのも難しくて、トイレや水場がある公園の駐車場に停めて眠ったこともありましたが、深夜に警察官に起こされて事情聴取を受けるというハプニングもあるので、撮影ポイントが無く天気も悪ければ基本的にモーテルに泊まっていました。
しかし都会からどんどん離れていってモーテルすら無いエリアでは車を停める場所を探す必要はありません(警察官も来ない)。
ただそういった場所では別の悩みもあって、買い物をする店が全くなく唯一ペトロール(ガソリン)スタンドがその役割を担っています。
メインの道路沿いのスタンドには併設された小さなショップやレストランがあり食事は出来ることが多いですが、メニューの選択肢はあまりありません。
せいぜいステーキが部位の違う2種類くらいあって、基本は金属音がしそうなくらいよくよく焼かれた炭化一歩手前の固いウェルダンのみ(たとえレアを注文しても)。
時間帯によってはハンバーガーやフィッシュアンドチップスがあればラッキーな方で、それでも店内で座って食事が出来れば上等だと感じるほどです。
しかし周囲に人家がないようなスタンド(ガソリンでさえ時々売り切れていたりする)にはレストランもショップもなく、レジの横に冷凍のミートパイやチキンロールがあればそれでも充分ありがたいと思えます。
天の川で影が出来るほど夜空が暗い場所では買い置きのインスタント食品とパンで何とか飢えを凌ぐような状況でした。
日本から持ち込んだガソリンコンロのピークワンとコッフェルがなければ生きていけなかったかも?と今でも思います。
深夜の撮影中に口にする暖かい飲み物や翌朝に食べるカップ麺、それだけでも生き返った気分でした。
それが37年前、世間的にはハレー彗星最接近の翌年で第一回のラグビーワールドカップの年でした。
この辺りの状況は前回2020年7月にも書きましたが、現地に機材を預けて友人宅の離れを借りて一箇所に滞在する形で、基本的に赤道儀でガイド撮影しながら合間にあちこちに三脚を据えて星景写真を撮っていました。
段々と何も変化のない夜空に飽きてきて、また新しい風景を探したくなってきました。
〜タカハシEM-200を改造して赤緯体下部にもマルチプレートを追加、カメラてんこ盛り状態で撮影していた頃〜
ヤルグーからの帰りにインド洋沿いに北の方まで走ったことも何度かありました。
しかし殆どの日程をヤルグーで過ごして殆どの機材を置いて来ているので、ロケハンの延長のような感じでした。
そこでキャンピングカーなら自由な場所に移動&撮影が出来ると考えて計画しました。
住み慣れた知人の離れでの撮影は便利で快適でしたが、それよりも毎日移動しながら撮影をすることの方が楽しめると思い、ようやく実行に移したのが2001年2月のこと。
当然本拠地に置いてある赤道儀や望遠鏡などの機材は使えないので基本は日本から持ち込んだ三脚とカメラ(35mm・6×7・4×5・617)だけの星景写真がメインです。
過去に走った経験のあるたくさんの場所から再度行くことにしたのはアデレード〜メルボルン近郊のコースでした。
1987年時は昼に着いて夜に撮って翌日移動というかなりハードなスケジュールでしたので、天気次第とはいえ最低1夜は撮影出来るように考えてカンガルー島、マンゴー、グレートオーシャンロードをターゲットに。
大型のキャンピングカーは運転したこともなく不安だったので、借りたのは運転経験のある小型のライトエースでした。
ただ排気量も1800ccと小さく非力だったので、坂道になるとアクセルを床まで踏んでもトロトロの超低速がやっとで、これがなかなかのストレス。
しかも思っていたよりも行動範囲が狭められてしまいました。
その後は大型車にも慣れて4WD以外は大きめのキャンパーを借りるようになりました。
今年の2回も含めるとオーストラリアで8回、アラスカで4回使っています。
〜2001年のオーストラリアで味をしめて2002年にアラスカで借りた独りで使うには広すぎるキャンピングカー~
居住性は良いのだがV10 で7リッターエンジンの燃費は恐ろしい悪さでした。
この年はまだ1USガロンが1ドルくらいでしたが22年後の今年9月は5ドルに上がっていて、円安もあって1リッター約250円で日本よりも高いのがショックでした。しかもエンプティから満タンにするには4万円以上も掛かりました。〜
〜内部はダブルベッドが3つとシャワー・トイレ付き、ただ水タンクの容量が200リットルなのでシャワーは5分ほどで終わってしまいます。
駐車時には写真のリビング↑と後部寝室↓が1mほど電動でせり出して一層広く快適な空間になリマス。〜
〜後部主寝室、独りなので三脚は伸ばしたまま床に置きっぱなし、他の機材も散乱していたので現地で出会ったオランダ人夫婦に何人で生活しているのかと呆れられました。〜
〜外から見るとこんな感じにせり出しています、電源コードを繋ぐと電子レンジも使えて快適。〜
車種もいろいろで長短はありましたが、気軽に走れて燃費も比較的に良い小型車は残念ながらトイレがありません。公園やスタンドで用をたして時々キャンピングサイトでシャワーと洗濯を数日おきというペースで過ごしていました。
それでも景色の良い場所で何日も居られる心地良さや時間を気にせず食事をして飲んで眠れるという自由さは本当に有り難いものがありました。
〜日没後には快晴だったので腰を据えようと思った矢先から雲が広がり夜半前から雨が降り出しました。それでもキャンピングカーの中では快適に過ごせるので晴れるのを待つのも苦になりません。〜
〜前日に降り出した雨は朝になっても延々と降り止まなかったのですが、太陽がある位置だけずっと晴れていたので虹も信じられないほど長時間見ることが出来ました。当たり前の話ですが太陽の移動に伴って虹が移動してゆくのを初めて目撃しました。〜
当時は今のようにネット環境もないので情報といえばキャンピングサイトで見るテレビの天気予報だけで、地図もポストカードも「絵」になる場所を知る重要な情報でした。
真夏の2月という今まで行った事のない時期にアデレードに到着。
キャンピングカーをピックアップしてまず南へ、ケープジェービスからフェリーでカンガルー島を目指します。
前回は夜の撮影が出来なかった心残りのリマーカブルロックやアドミラルアーチなどの絵になる奇岩は是非とも月明かりで撮ってみたかったのです。
14年ぶりのカンガルー島は遊歩道や立ち入り制限が増えていて昔ほど自由な撮影は出来なくなっていました。
しかしそれを超えるビッグサプライズがあったのは嬉しい誤算でした。
深夜撮影中に南の空を何かサーチライトのようなものが動いているのに気付きました、最初は船のライトかと思ったが車のヘッドライトでもないようです。
ここから南は南極大陸しかないので町も車も何も無い、もしかしたらオーロラかな?少しドキドキしながら撮影を続けました。
帰国後に現像が上がったフィルムには月齢3の細い月に照らされ背景が真っ赤になったリマーカブルロックが写っていました。
〜沈む直前の細い月に照らされて岩の表情が浮かび上がっていました。〜
〜細い月が沈んでからはシルエットになったリマーカブルロックの背景は低緯度オーロラの赤に染まっていました。〜
次に向かったのはグレートウォール(万里の長城)と名付けられたマンゴーレイク。
最寄りの町からもオフロードをひたすら走らないと行けないなかなかの僻地で、1日かけて夕方にたどり着くも遊歩道以外は一切立ち入り禁止になっていました。
案内板には数年前にここで発見された化石が相当貴重なものなので管理が厳しくなっていたようです。
それでも月が沈む前に遊歩道から撮影しましたが、消化不良を感じつつも自由に撮れないのなら粘る意味もないので諦めて翌朝には移動開始。
〜1987年には自由に歩き回れたので巨大山脈に見えるが2mほどの丘や、壁のように聳り立つ崖などフォトジェニックな風景には事欠かない場所です。〜
そして次の町のたまたま訪れたショップで赤い砂丘のポストカードが目に留まりました。
店の人に聞いてみると隣町にあるというので、早速翌日に向かい運良く撮れたのがこの作品です。
〜オリオン座が砂丘に沈む前に良いタイミングでポイントを見つけることが出来ました。
肉眼で見た感じだと風紋の影は強いのですが、長時間の露光中に月が移動するため輪郭がボケて柔らかな表現になってしまいます。〜
〜太陽が昇ってからの砂丘の風紋は月夜に撮るよりもコントラストが高くなります。〜
〜満月過ぎの明るい空でも透明度が良いので星がよく写ってくれました。〜
この砂丘はエリアの広い地図には載っていませんが、地元ではサンドスライダーやバギーなどの遊び場だったようです。
ロケハンに行った時には何人もの若者がいて砂丘は足跡と轍だらけ、絵になるような風紋はとても望めないような状態でしたが、快晴だったので月が昇った頃に出掛けるとそこには美しい風紋の砂丘が広がっていました。
皆が帰ってから風が強く吹いたのでしょうか?
もちろん夜には誰一人いません、そのまま夜明けまで満月の照らす砂丘を撮影して車内で祝杯を挙げました。
実は月明かりに負けて星は写らないと思っていましたが、透明度が良くて光害もないのでしっかり写ってくれました。
日本の夜空は明るくても現在のデジタルカメラでなら都会でも星は写せます。
しかし銀塩時代のフィルムでは長時間露光をすると月明かりに負けて背景が真っ白になってしまうことはよくありました、それでも写るオーストラリアのアウトバックはやはり星景写真に最適なのでしょう。
帰国便はメルボルン発だったのでグレートオーシャンロードも行程に入れていました。
数年前に落ちたロンドンブリッジも12使徒も絶好の撮影ポイントだと考えていましたので月齢が大きくても狙っていました、本当はもう少し小さな月齢で撮影したかったのですが・・・。
〜「月夜に佇む」というタイトルで20年ほど前の個展に出品しました。〜
私的にはイメージよりも明るく写り過ぎたため直前まで出すか出さないか迷った作品でした、しかし展示してみると作者の予想は外れての一番人気でした。
露光中に1台の車がやって来て周囲をハイビームで照らして去って行きました。
眩しいライトが入ったので撮影時はこの1コマは没になるだろうなと覚悟していましたが現像が上がって見てみると良いアクセントになっていました。
ライトが入っていないものと比べると空気感と奥行きが出て良いなと・・・。
その後鳩居堂で個展をした時に見に来られた方から質問されました「この崖の上の光の中に二人立っていますか?」と、私自身そこまで拡大して見ていなかったのですが確かに人の影が見えます。
おそらく夜に見に来た人が車から降りてヘッドライトの前にしばらく立っていたのでしょう、撮影中には邪魔者としか思っていませんでしたが今は感謝しています。
有名なCMなどにも使われて観光地化しているようですが、またチャンスがあれば今のデジタルカメラで撮ってみたい気もします。
ただあの頃の帰国後にラボで現像の仕上がりを待つヒリヒリした感触はやはり銀塩写真でしか味わえないだろうなと改めて思います。
ちなみに今年4月の渡豪では久しぶりに銀塩写真も撮影しましたが、やはり長時間露光での星の軌跡や薄明の美しさという点ではデジタルを遥かに凌駕していたことに改めて驚かせられました、もっとも現像代と仕上がりまでの日数にも驚かされましたが。
星を撮影するのが主な目的だと宿に泊まるというのは無駄が多いというか自由な動きにいろいろと制限が掛かってしまいます。
かといって連日の車中泊では体力や気力が失われていくのも事実で、古希が近づいてきた今の私には車のシートで眠るのは辛いものです。
寝不足になるしちょっとした事が身体に堪えるようになってきた我が身を考えると小さくてもベッドがあるキャンピングカーが本当にありがたいのです。
また毎食カップ麺で食いつなぐのも残り少ない人生を考えると如何なものかと・・・最低限キッチンがあればちゃんと食事が摂れて良いパフォーマンスにつながると信じています。
出来ればビールもあればもっと良い〜
〜そして走行中に気に入った景色があればそこが今夜の撮影ポイント&宿に・・・あとは天気次第で雨でも雪でも晴れるのを待てばいい、軽く飲んで食べてベッドに潜り込めばそのうち晴れてくれるだろう、という感じで最近は動いています。〜
お勧めはそれほど大きくない車種でトイレ付きが良いかと思います。
キッチン&冷蔵庫は全てに付いていますが使い勝手は車種によって変わってきますので人数や目的地に合わせて選びましょう。
また地域によっては4WDオンリーの道もありますので注意が必要です、ただ4WDも無敵ではないことは肝に銘じておくべきです。
道路から少しそれた場所で今夜の撮影ポイントを探していた時のこと、普通に硬い地面に見えて轍もあったのでその上をトレースして走っていたら突如スタック。
表面のすぐ下に柔らかい層があったようです。
四駆でもあっという間に動けなくなってしまい脱出まで4時間掛かりました。
オーストラリアのアウトバックは数十センチ下に水を通さない層があってその間は雨の後にはグズグズだったりします。
脱出方法はボディの下を掘って地面との間に当たらないような隙間を作ってからタイヤの前後も硬い層まで掘れば脱出できます。
スコップは標準装備ではなくオプションだったりしますので借りて行った方が安心です。
毎回あることではありませんが私は3度経験しました(過去2回は普通のステーションワゴン)。
マウントオーガスタの帰りにオフロードを走行中に大きな音がしたと思ったら急に左後ろのタイヤが車軸を付けたまま凄いスピードで追い越して行きました。
ミラーではタイヤがはみ出たように見えたのでてっきりパンクかと思っていたら結構大変なトラブルでした。
次の町まで250㎞以上あるし携帯は圏外ですし。
仕方ないのでエマンジェーシキットの中にあった非常用のビーコンを起動させました。
〜この壊れたハイラックスの車内、狭くても生活用品は充分揃っている。〜
これで助けが来るはずですが運の良いことに近く(3km弱)に牧場があると知り、助けが来るまで時間がかかるだろうと思い、歩いて牧場まで行って事情を話してレンタカー会社に電話をしてもらいました。
指示通りにビーコンを止めてジャッキアップで外れた後輪を入れて、車内ですることもなくコーヒーを飲んでいると夕方になって牧場の人がやってきて明日レッカーが来ると教えてくれました。
天気が良ければ撮影でもするのですが生憎の曇天からの小雨、結局その場で夜を明かし翌日の午後250km先のカーナボンからレッカーが来て2日間キャンピングサイトのコテージで代車が来るのを待たされました。
考えれば仕方ない事なのですが代車は1200km先のパースから運転して来るので時間が掛かるのも当たり前です、しかし事故があってから3日間何もすることが無いのも辛いもので、食材などは事故車の冷蔵庫に入れたまま運ばれてしまっていましたが買い物に行くのも徒歩では30分先のガソリンスタンドが限界で街まで行くにはタクシーが必要な距離でした。
その後代車に乗って無事にパースまで帰れましたが、車軸が折れたのがあの場所の直線道路だったのはとても幸運でした。
そのすぐ先には川があって水没した道を走らなければならないエリアでしたので、ほんの数分違いでもっと大きな事故になっていたかもしれません。
しかしそんなトラブルを含めてもキャンピングカーでの星見は楽しいものです。
あと何回走れるか分かりませんが、体力と気力のある間はまたトライしたいと思っています。
〜大きめのハイエースの車内、トイレが無い以外は快適に過ごせました。〜
〜別の4WDキャンピッグカー、サイズ的には大きいのですがキッチンが外にあるので使いにくかったです。」〜
安藤宏(あんどうひろし)
日本星景写真協会会員
1988年から“After The Sunset”をメインテーマに同シリーズの写真展を各地で開催
2018年9月まで鳩居堂コンタックスギャラリーなどを含めて25回を数える